世田谷さんぽ その4【世田谷代官屋敷】

落語や時代劇を通して垣間見る「江戸時代」。現代との生活習慣の違いや職人の世界、侍の生活様式などを自分の目で見るという経験は、歴史好きだけでなく興味深くておもしろいものですよね。世田谷には、江戸の名残を感じることができる史跡がいくつかあります。今回はその中でも、都内で初めて住宅建造物として「重要文化財」の指定を受けた「世田谷代官屋敷」をご紹介したいと思います。

都内唯一!大名領の代官屋敷

世田谷代官屋敷は、江戸中期以降、彦根藩世田谷領の代官を世襲した大場家の役宅でした。そのため「大場代官屋敷」とも呼ばれています。大名領の代官屋敷で現存しているのは都内でここだけ。そのため昭和27年に「都史跡」に指定されました。
そもそも代官とはどういった役職だったのでしょう? 代官とは、領主に代わって領地の事務を行なう役職をいいました。江戸時代の代官職は旗本の中ではお給料も低く下層の役職だったのですが、その割には支配する地域や権限が大きかったために、時代劇で「悪代官」という私利私欲に走るキャラクターが生まれたのです。実際は悪さをした代官はすぐ罷免されたようで、わたしたちの持っている「権力を私欲のために使う悪代官」というのはあくまでも時代劇の中だけの話。よい統治をする代官がほとんどだったようです。大場家10代目の当主も代官職の功績が認められ、一代限りですが士分に取り立てられて彦根藩士となりました。

重要文化財の住宅建造物

世田谷代官屋敷が重要文化財に指定されたのは昭和53年のことです。住宅主屋と表門の二棟が近世中期の代表的上層民家の様子を保存しているということでの指定でした。
さてその敷地の中を見てみると、白洲跡があったり、「切腹の間」という生々しい名前の部屋があったり、いかにも江戸時代。なんと白洲跡の玉砂利は、当時のものを残しているのです。このように、重要文化財に指定された二棟以外にも当時のままに保存されている場所や物がたくさんありますので、想像力をたくましくして見てみると、タイムスリップ気分を味わえること間違いなしです。
また、「世田谷区名木百選」にも選ばれたタブノキを見ることもできます。

世田谷区郷土資料館も併設

世田谷代官屋敷の敷地内には、世田谷区郷土資料館が建っています。昭和39年に開館した、都内最古の公立地域博物館です。代官屋敷の入り口から入り、緑あふれる通路を抜けて現れる近代建築は、江戸時代を抜けて現代に来たような、なんとも言えない不思議な気持ちにさせてくれます。
ここには世田谷区に関する資料が集められていて、だれでも無料で見ることができます。発掘調査の写真や野毛大塚古墳の様子など、ここでしか見られないものもたくさん。代官屋敷のあとは、ぜひ資料館にも足を運んでください。
また、世田谷代官屋敷のある通りは通称「ボロ市通り」といいます。ボロ市というお祭りがあるのでこの名前で呼ばれています。このボロ市については、また稿をあらためてご紹介したいと思います。