【よく知ってるあれも実は!】ことわざに登場する仏教用語 1

 

お盆のある8月や、お彼岸のある9月になると、仏教というものを意識する機会が増えますが、日ごろ仏教にふれていると感じることは少ないのではないでしょうか?

日常の中にあふれているとはいえませんが、仏教用語は「ことわざ」「慣用句」の中にたくさん含まれています。今回は、ことわざの中に見る仏教用語について、ご説明したいと思います。

三人寄れば文殊の知恵

一人では平凡な考えしか浮かばないが、凡人でも三人集まれば一人では到底浮かばないようなよい知恵が出てくるということわざです。この「文殊」というのは文殊菩薩のこと。
文殊菩薩は仏の知恵を象徴する菩薩です。むかし、維摩居士(ゆいまこじ)という人がいました。この人は在俗の仏教徒だったのですが、釈迦の弟子たちよりも仏教の真理に通じているといわれていました。この維摩居士が病気になったとき、お見舞いという口実で釈迦の弟子たちがかわりばんこに議論を挑みに行ったのですが、だれも対等に話すことすらできません。そんな中、文殊のみが対等に問答することができたといいます。
このことから文殊は知恵の菩薩とされ、その後の経典でも人々を仏法に導く姿で描かれています。

馬の耳に念仏

念仏のありがたさをいくら馬に向かって説いても無駄であることから、いかに親身になって意見や忠告をしても何も感じずに聞き流す相手であればまったく効果がない、無駄である、というたとえ。
さて、このことわざにはたくさんの類句があります。「牛に経文」「豚に念仏、猫に経」「犬に論語」など。論語はともかく、経や念仏など、仏教に関する語がほとんどですね。
「念仏」はもともと仏の姿を思い浮かべることだったのですが、転じて仏の名を唱えること、となりました。「経」は経典のこと。むかしの人の思う「大切な教え」とは、ほとんど仏教の教えであったということがわかります。

嘘も方便

嘘をつくのはもちろん悪いことなのですが、時と場合によっては物事を円滑に進めるための手段として必要な事もある、というような意味のことわざです。
さて、嘘は日常的に使う言葉ですが、方便というのは聞き慣れないのではないでしょうか?
「方便」とは、大衆を救って悟りの世界に導くためには教義を真正面から説くだけではなく、便宜的にわかりやすい言い方に変えたりする方策のことです。たとえ本来の教義から離れても、言い換えたほうが伝わりやすい場合はそちらの表現を使うことをいいます。

かつては仏様の教えが今よりももっと身近だったので、そこからさまざまな言葉が生まれました。これらの言葉は現代の生活にも役立つものなので、またご紹介したいと思います。