法話

知恩報恩

―感謝を忘れず、その御恩に報いるにはー

イメージ

私たちは日頃多くの御恩をいただきながら生活を送っています。それは目に見えるものもあれば見えないものもあり様々です。それらの御恩に対して感謝の気持ちを忘れないことが「知恩」です。そして感謝するにとどまらずその御恩にどんな形であれ報いることも忘れてはなりません。これが「報恩」です。しかし我々はすでにこの世を旅立たれたご先祖様からも沢山の御恩をいただいているはずです。しかしもう亡くなってしまった方に対してどのようにご報恩の気持ちを伝えることが出来るのでしょう。例えばお墓参りをすることやご法事を行うこと、お供え物をすること、これらご供養ももちろん喜んでくださることと思いますし、続けていくべき大切なことです。ですが反対にご先祖様の気持ちになって今の私たちに何を望んでいるのかを考えたとき、それは残された私たちの「幸せ」ではないでしょうか。私たちが日々の中で少しでも健康に、穏やかに笑って暮らしていてほしいと、ご先祖様方は願ってくれているはずです。つまり、家族親族や友人など周囲の人、そして自分自身を大切に幸せな人生を送れるよう日々を一生懸命に生きることは、ご先祖様へのご報恩であり大切なご供養へと繋がるのです。

蓮の花の教え

ーお釈迦様が思う人の人生とはー

イメージ

蓮の花というのは他の植物と異なり、珍しくも水面に花を咲かせる美しい花です。しばしばお寺で蓮の花を見かけることもあるかと思いますが、これは仏教において大切な意味のあるお花だからです。お釈迦様はかつて、人の一生は蓮の花の一生に似ているとお話しされました。蓮の花は水面に咲いており、一見とても綺麗に見えます。しかし根っこの部分は泥の中にあります。多くの僧侶は蓮の鉢を植え替える修行をしますが、根っこを取り出すとき、泥の中にあるので汚く見えるわけです。しかしよく考えれば、その汚く見える泥の中には栄養分がたくさんあり、そのおかげで蓮の根は成長するのです。私たちの人生も楽しいことばかりではなく時に四苦八苦辛いことも起こるのが人生というものです。しかしお釈迦様はこの苦しみは決して無駄ではなく、苦しみから必ず学ぶものがありそれが自分を成長させると説かれたのです。そしてもう一つ、泥中で懸命に根を伸ばし、最後に水面に美しい花を咲かせるこの様子は、我々の最期の時つまり「死」を表していると例えられました。我々はどうしても人生をどう生きるかについて多くを考えますが、自分がどんな風に最期の時を迎えたいかはあまり考えません。しかし穏やかなで感謝の思いに溢れた最期の時を迎えられることはとても幸せなことです。日蓮聖人は「先ず臨終の事を習うて、後に他事を習うべし」というお言葉を残されていらっしゃいます。どんな最期を迎えたいのか、それには今どう人と向き合いどう健康に気をつけ、どう生きればいいのか、真剣に考えることが大切だということを蓮の花は教えてくれているのです。

自利行と利他行

―他人と自分を大切にする本当の意味―

イメージ

自利行、利他行というのは仏道修行です。文字通り自利行とは自分のための行い、利他行とは他人のための行いです。これらはどちらが大切でしょうか。一見するとやはり自分の事よりも他人のために行動することのほうが大切に思うかもしれません。しかしこの修行の肝心な部分は、どちらも等しく行じることです。例えば、自分にとって家族、友人、恋人などとても大切な人を思い浮かべてみましょう。もしその人にとても良いことがあって満面の笑みで幸せな気持ちでいてくれたら自分も嬉しく思うはずです。反対にその人たちは私たちが同じように幸せなとき、同じように喜んでくれるでしょう。目の前の桶に入った水を手前から相手に向かってどうぞと送ると、そのお水は自然と左右から自分に返ってきます。反対に自分を潤すように手前に寄せれば、また同様に左右から相手の方へ流れていきます。日頃から周りの人に見返りを求めず大切にしていると、いつか自分が嬉しい時には一緒に喜んで、悲しい時にはそばにいてくれるようになります。また自分を大切にして幸せでいることは、大切に思ってくれている周りの人たちにとっても幸せなのです。つまり自利行の先には利他があり、利他行の先には自利が待っているのです。

穢土も浄土も土に二つの隔てなし

ー心のフィルターで見る世界が変わるー

イメージ

僧侶の修行が始まるとき満開の桜の下で山に入りましたが、その時に見た桜はこれから始まる修行生活への不安で心から綺麗と思えませんでした。しかし無事に修行を終え晴れ晴れとした気持ちで見た桜は、同じものを見ているはずなのに見え方はまったく異なってとても綺麗に思えました。これが我々人間の心の不思議なところです。日蓮上人は「穢土も浄土も土に二つの隔てなし。ただ我らが心の善悪によると見えたり。」と仰られています。つまり、自分が置かれた環境が良いか悪いかではなく、どんな心のフィルターを通して物事を見ているかでその見え方が変わることもあるということです。曇りのない心で日々を過ごすにはどうすればいいのかを考え、実行してみることが大きな成長と穏やかな日常に繋がります。

六波羅蜜

―心を成長させてくれる大切な日々の仏道修行―

イメージ

「布施」
見返りを求めず人に施しをして安心を与えることで、物やお金に限らず自分の身一つで施せることもたくさんあります。例えば優しい思いやりのある言葉をかけてあげること(愛語施)や、気持ちのいい笑顔で接すること(和顔施)、電車で困っている人がいたら席を譲ってさしあげること(床座施)などがあります。

「持戒」
決まり事を守ること。世の中の常識やルールを守ることももちろんですが、嘘をつかない、人には誠意をもって接するなど自分自身と約束したことを守ることも持戒の大切な修行です。

「忍辱」
我慢、忍耐を学ぶこと。代表的なものは怒りです。怒るというのは感情的になって思いをぶつけるわけですから受ける側は傷つきますし、怒る側も膨大なエネルギーを使うので疲れてしまい、またそれは怒った相手から返ってくることもあり誰も得をしません。一度ぐっとこらえて、落ち着いてから冷静にお話しすることが大切です。

「精進」
弛(たゆ)まぬ努力を続けること。大きな努力だけでなく、小さな努力を継続して続けることも大切です。日々少しずつ成長できるよう、精進は欠かせません。

「禅定」
感情に振り回されず、常に冷静な心でいられるよう努めること。人間万事塞翁が馬、いい時は油断せず、悪い時には悲観しすぎないことが肝心です。

「智慧」
学んで習得した知識を実際に使ってみる。知識に行動が加わればそれは智慧に代わり、自身や周囲の人を守り助ける術や、人生をより豊かにしてくれるものになります。

少欲知足

―与えられたものの有難さを知る―

イメージ

お釈迦様が説かれた「四苦八苦」のひとつに求不得苦があります。求不得苦はどんなに望んでも手に入らない苦しみです。新商品が発売されたけど買うお金がない、思い描く理想の生活があるけど到底叶いそうにないなど、子供のころから自分の人生を振り返れば誰しも一度は経験があると思います。そんな気持ちになってしまった時は、自分に無いものを数えるのではなく、まず与えられたものにしっかりと感謝し、大切にできているかを考えます。少欲は欲張ってはいけないということを説いているのではありません。まず手の内にあるものに感謝しそれを大切にすれば、欲望に支配されず少ない欲で人生を豊かにそして穏やかに生きられるということを表しています。心の箱に不満の穴があいていると、何を得てもその箱が満たされることはありません。欲するだけでなく、まずは家族親族・友人・恋人や日々のあたりまえと思っている生活環境に感謝し大切にできているかを思い返して見てください。そうすると不思議と自分に渦巻いていた欲望は薄まっていくことでしょう。

各種お申し込み・お問い合わせ

常在寺へのお問い合わせ
はこちら

不明点などありましたらお気軽にお問合せください。

03-3429-1831

【受付時間】9:00〜17:00 年中無休

メールでのお問い合わせ